2024/02/29

深夜特急

さよならニッポン

 若者に半ば強制的に試練を与え、それを乗り越えていく様子を中継するTV番組が好評を博している昨今です。でも、試練を試練とも思わない、他人からは「自分から苦労してバカじゃないの」といわれてしまうようなことをしている人は少なくないと思います。

「デリーからロンドンまで走るという幻のバス」に乗るために「私」は旅支度をしたのでした。別にきっちりとした計画はなく、漠然と香港からデリー、そしてロンドンまでバスを乗り継いでいくというものです。当時「私」には仕事もあり、べつだん不自由も感じていなかったというのに、なんでまたそんなことをしたのか…きっと、わからなかったからだと思います。ネタバレな明日よりも、本当にどうなるかわからない明日のほうがよりよいものだと感じたのかもしれません。

 旅先でいったい何に出会うか予想がつきませんし、いつトラブルがおこるかわかりません。でも、今まで食べたことのない珍味に舌鼓をうち、ギャンブルに熱くなるもよし、何もせずただ通りを歩き回るだけでもよし。色々な人と交流し、時には一人で考え込む。私はそんな旅の記録から「旅立つことで旅の目的は達成されているのでは」と感じました。ロンドンに到着する前に「私」はすでに「到着」してしまったのではないでしょうか。タイトルの「深夜特急」に含まれているもうひとつの意味(冒頭で述べられています)が、それを暗示しているように思われます。

 なぜ旅をするか、旅をするとどうなるかは人によって様々な考え方があるかと思います。この本は単なる旅行記と呼んでもいいし、旅のガイドブックになるかもしれません。要は各々のやり方で「さよならニッポン」すればいいのではないでしょうか。

(沢木耕太郎、新潮文庫)

2024/02/28

大脱走

実話の持つ迫力

「映画を見たからいいや」なんて言わないでください。原作には映画化できなかった色々なエピソードがふんだんに盛り込まれ、映画を見た人でも充分に満足できるはずです。もちろん映画の方も、原作の雰囲気を失わずにとてもうまくエッセンスを抽出している名作ですので有料配信だとしても観る価値はあります。

 時は第2次大戦後期、ここドイツ空軍の捕虜収容所に捕虜たちが集められます。彼らは捕虜の自覚なんてさらさらなく、退屈な収容所暮らしの中に刺激を求めて「脱走」を試みるのです。方法は色々ありますが、やはり王道はトンネルです。綿密に計画を練り、慎重に準備を重ね、巧妙に処理していく様子がことこまかに描かれています。ないものは作り、どうしても作れないものは盗み、知らないことは調べ、どうしても知らないことは脱走してまで調べてくる。何もできない者はいなく、誰もが何かをすることができる。「捕虜の任務は、出来る限り脱走して敵国に手を焼かせ、兵力や士気に影響を与えることだ」という名目のもとに、捕虜たちはスポーツでも楽しむように脱走の準備を進めていきます。

 原作のもうひとつの特徴は、終戦時や戦後についてもふれていることです。ドイツの敗戦が濃くなり、ソビエト軍が迫ってくるため収容所は閉鎖されます。捕虜たちは他の収容所を移されながらも必死に生き延びようとします。その際にも友軍の方へ常に「脱走」を試みるのです。また、大量の脱走者が出たことに対し、ドイツ軍は脱走者を銃殺するという「見せしめ」のような報復に出ました。その命令は誰が出し、誰が執行したかを追求するところまで原作には書かれています。

 まさに「実話」ならではの迫力が伝わってくる本です。多少は重たく感じられる場合は、映画を見て息を抜きましょう。

(ポール・ブリックヒル、ハヤカワNV文庫)

2024/02/27

ディープ・ブルー

賢きもの、なんじはイルカ

 イルカたちが持っている、その特殊能力は世界のあちこちで研究されています。そして、古来より人間と不思議な関わりを持ってきました。イルカに助けられた遭難者、イルカと協力して漁を行う村、精神障害者をイルカに接触させて治療活動を行う、などなど…

 かつて、イルカと接触を持った3人の男女。彼らはふとしたことから、イルカたちについて熱心に考えるようになっていきます。とある一匹のイルカも、ふとしたことで人間たちと関わるようになっていくのです。運命が彼らを出会わせるとき、人間とイルカが再び結びつくきっかけとなる事件が起こるのです…

 この物語のイルカたちは親しみやすく、生き生きと描かれていますが、多少人間みたいになりすぎている気がします(まあ、物語を書いたのは人間ですから)。イルカの大好きな私としては、元気で頭のいい動物の代表格としてイルカが活躍するので気に入っています。この物語の元ネタになったのは、同じ作者の前作「リプレイ」中に出てくる幻の大作映画「スター・シー(星の海)」です。とても素晴らしい物語だったということになっているので、作者自身も書いてみたくなったのかもしれませんね(ちなみに「リプレイ」もとても面白い作品です)。

 イルカのきゅいきゅい鳴く声を聞きたくなる、そんな作品です。

(ケン・グリムウッド、角川文庫)

2024/02/26

ニューロマンサー

電脳空間と仮想現実、サイバーパンクの幕開け

 20世紀末、次世紀の立役者としてコンピュータ及びそのネットワークが注目され始めた1980年代にこの物語は発表されました。全世界を覆うネットワーク、コンピュータに人間の感覚を直接入力するサイバーデッキ、実用化された人工知能、兵器としてのコンピュータウィルス…などなど、近未来のスパイス満載のこの物語は「サイバーパンク」なる作風を最初に確立しました。人間の肉体と感覚が分離できた時、「知能」の定義や「生命」の境界線が曖昧になっていき、ハイテクとコピー文化のもたらす混沌とした世界で生き生きとしているのは、最先端(エッジ)すれすれのきな臭い仕事を請け負うハッカーたちなのです。

 およそ時代遅れと言われかねないピカレスク(悪漢活劇)の手法がかえって登場人物の個性を引き立てています。主人公をはじめ、誰もがすねに傷ある、たたけばホコリの出そうな者ばかり。アナーキーな彼らが使う粋なスラングも、今は亡き黒丸尚氏のポップな翻訳でカッコ良く響きます。また、バーチャル・リアリティ技術が娯楽として普及していたり、ドラッグで感覚を「拡張」したりと、身体に悪そうな小道具も雰囲気を盛り上げます。

 お話はなんと日本から始まります。チバのニンセイ(いったいどこなんでしょ。アキハバラじゃないの?)で、廃人同様にうつろな毎日を過ごす元ハッカーの主人公に、依頼が舞い込むところから始まります。前の仕事で強がりすぎて、電脳空間にアクセスする能力を取り上げられてしまった彼に、また仕事ができるようにしてやるというのです。もちろんその仕事には危険な匂いがします。でも主人公はまた電脳空間にアクセスできるようになるならと、引き受けるのですが…

 結構この本は読みこなすのが難しいです。斜め読みでダーティな近未来の感覚を味わうだけでもいいかもしれません。「サイバーパンク」と銘打つ作品のほとんどに影響を与えた作品ですから、この手の作品を好きなら、ぜひ触れてほしい本です。ちなみに映画「JM」も同じギブスン氏の作品ですから、「JM」を見た人なら短編集「クローム襲撃(同じくハヤカワ文庫)」収録の「記憶屋ジョニィ」から入るのもいいでしょう。私個人としては士郎正宗氏の「攻殻機動隊」や映画「マトリックス」あたりを入門編としてお勧めします。

(ウィリアム・ギブスン, ハヤカワSF文庫)

2024/02/25

デッドゾーン

知りすぎてしまうあまり、わからないこと

 可能な限り、誰もが自分の未来を知りたがっています。でも、自分の運命を知ることが必ずしも良いことなのでしょうか…「予知能力」をテーマにした物語はたくさんあります。その中でもこの作品は異色で、なるほど鬼才スティーブン・キングらしい出来映えです。

 交通事故で数年もの間昏睡状態だった主人公が目覚めた時、今までにない2つの現象が起こったのです。1つは、肌が触れた人間の未来を見通す力で、もう1つは何らかの条件でその未来が感知できないというものです。きっと誰もがそうであるように、主人公はその能力を控えめにしていきます。どんなに隠し通そうとしても、どうしてもそれは多くの人に知られることになるからです。

 必ずしも全ての人が持たない能力であればこそ、有効に活用されるべきかもしれませんが、主人公にとってはただ、失われた日々を取り戻し、静かな生活を送りたいだけなのです。しかし、マスコミや心ない人々が主人公を揺さぶります。たとえ連続殺人犯を見つけだすとか、悲惨な事故を未然に防いだりというように予知能力でもって人々に貢献できることをしても、やはり主人公に心の安定は来ないのです。キング氏の作品で、超能力を扱った作品はこういった点をうまく表現しています。

 そんなある日、主人公は一人の男と握手をします。その男が権力を握るとき、どんなに恐ろしいことが起きるのかを知った主人公はとある決断をします。でも、主人公の取った行動が如何なる結果になるかだけは「デッドゾーン」にあり、知ることができないのです…

 この作品は映画化されています。読後に見比べてみてはいかがでしょうか。

(スティーブン・キング, 新潮文庫)

2024/02/24

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 感情と共感の曖昧なニンゲンたち

 映画「ブレードランナー」の原作としても知られるこの作品ですが、映画では描ききれなかった部分が数多く見受けられ、設定もかなり違います。映画公開当時、中学生だった私はミーハー気分で見に行き、重いテーマにぐったりとなった思い出があります。それでも、もっと良く知ろうと原作を手に入れ、読み…さらにぐったりとなりました。中学生の私は、まだ「人間らしさ」についても考えたこともなかったのですから、少し難しすぎたのでしょう。

「人間らしさ」と「人間そのもの」の違いをどこで見分けようとしているか、「人間」と「人間でない」の境界線はいったい何か…そして、自分自身ははたして「人間」なのか? このようなジレンマを作者はうまく表現しています。今まで現実だと信じて疑わなかったことが嘘だったり、決まりきったルールが徐々に崩れていくような作風がさらに雰囲気を盛り上げています。

 逃亡したアンドロイドたちを狩る、いわば賞金稼ぎである主人公は、とある女性型アンドロイドに好意を抱いていることに気づきます。そして、「人間らしく生きたい」と願うアンドロイドたちを「処理」していることに戸惑いを覚えはじめるのです。皮肉にも、アンドロイドと人間を見分ける判別法は「感情移入」を利用したものでした。主人公はアンドロイドへの感情移入度を測るため、アンドロイド判別検査を自分に行うのでした…

 この本を読むのは、ちょっと骨が折れるかもしれません。読む前に、「ブレードランナー(それもディレクターズカット版)」を見ておくことをすすめます。原作のあらすじとは全然違うのですが雰囲気をつかむ程度で構いません。

 この物語のキーワードは「感情移入」だと思います。この物語にどれだけ「感情移入」できるかが、読み進めるカギとなるでしょう。

(P・K・ディック、ハヤカワSF文庫)

Amazonで注文できます

2024/02/23

パパラギ

 もはやエデンには帰れないのか

 20世紀初頭、ひとりの南太平洋の島国の首長がヨーロッパ諸国を見物しました。「現代文明」は、彼にとっては非常に驚くものばかりでした。そして帰国した彼は、故郷の人々にそれを伝えて回りました。肌の白い人々、パパラギたちの生き様はなんと矛盾に満ちているかを。

 文明の利器に囲まれ、色々な刺激に満ちているかのように見える今日の我々ですが、なんだか大事なことを忘れているような、物足りない気がしていませんか? 我々は、確かに豊かな暮らしをしているかのように思えますが、きっと何かを犠牲にしているはずです。この本で語りかけてくる首長ツイアビの言葉をもって辺りを見回せば、現代文明はやるせないほどに色あせています。文明とは、文化とは? 価値観とは、感性とは? ツイアビは時には笑い出したくなるくらいに我々をおもしろおかしく観察しているかと思えば、現代人の考え方があまりにも不自然すぎるということを痛烈に批判しているのです。

 今さらエデンに戻れない現代人には、耳に痛い言葉もあります。また、納得いかない点も見受けられるでしょう。でも、きっと今までに聞いたことのない考え方に出会えるだろうと思います。
 でも…実は、ツイアビは実在の人物ではなくこの本はニセモノと呼ばれているのですが、この本の持つ問いかけそのものは、本物と言えないでしょうか。

(エーリッヒ・ショイルマン、立風書房)

AmazonでSB文庫版が注文できます

2024/02/22

「ファウンデーション」シリーズ

 壮大なのはアシモフ自身だった

「銀河帝国」という響きに、何を連想しますか? そして、数百万の星を一万数千年に渡り統べていた強力な帝国が崩壊するとき、何が起こるのかを想像できますか?

 心理歴史学者のハリ・セルダンだけが、その悲惨さを推量することができました。栄華を誇る銀河帝国は近い将来滅びの道をたどり、新たな第2帝国が成立するまで3万年の暗黒時代が続く…それは、野蛮で無慈悲であり、多くの人々が犠牲になるのだ、と。

 彼の提唱する心理歴史学とは、高度な数学的計算によって社会の動きを見極めようという学問です。そして、銀河帝国の技術や文化を遺し第2銀河帝国の布石とするため「ファウンデーション」が設立され、表向きは「銀河帝国百科事典編纂のための組織」としました。これによって3万年の暗黒時代を30分の1である千年に短縮しようとしたのです。

 果たしてセルダンの夢は叶うのか、ファウンデーションの前途はいかに…

第1部「ファウンデーション」
第2部「ファウンデーション対帝国」
第3部「第2ファウンデーション」
第4部「ファウンデーションの彼方に」
第5部「ファウンデーションと地球」
第6部「ファウンデーションへの序曲」
第7部「ファウンデーションの誕生」

 第1部から第3部までが長い間「銀河帝国興亡史3部作」として知られていたのですが、およそ30年ぶりに第4部以降が書かれました。それも、ただの続編としてではなく旧来の「ロボットシリーズ」との融合を図った構成となったのです(第4部・第5部は「ロボット」シリーズを読んでいないと辛いかもしれませんね)。また、第6部・第7部は時代をさかのぼってファウンデーションの創設者ハリ・セルダンを描いた作品となっています。

 どれから読み始めても良いのですが、やはり発表順に読んでいった方がいいと思います。特に、第3部の後は「鋼鉄都市」に始まるロボットシリーズを読んでから第4部以降を読んだ方がベターです。

 私はやはり第7部「ファウンデーションの誕生」が好きです。ひとりの人間としてできるだけのことをやろうと最善を尽くすセルダンの姿が感動を与えてくれます。彼のひたむきな努力はゆっくりと結実していき、壮大なファウンデーション計画を成功に導いていくのです。また、セルダンの後ろ姿にアシモフ自身が見え隠れするようなところがとても興味深いものがあります。

 そして、アシモフが構築した世界を引き継いだ「新ファウンデーション」三部作が、有名なSF作家達によって創作されました。まるでこのこと自体がセルダンの残したファウンデーションのようではありませんか。アシモフはそれを狙っていたかどうかはわかりませんが、誰かが意志を継いでいくことを見据えていたならばアシモフ自身が壮大であるかもと言えるのではないでしょうか。

(アイザック・アシモフ、ハヤカワSF文庫)

Amazonで入手できるのは,,,4上,4下,5上,5下,6上,6下,7上,7下

2024/02/21

さらば国分寺書店のオババ

 ゴーイン社会に猿人殺法炸裂の疾風怒濤的青春記

 普段の日常生活の中でたまに、勝手なルールを強引に押しつけられているような気がしたことはないでしょうか。または、世の中が理不尽なことだらけに感じることはないでしょうか。椎名氏はそんな理解に苦しむ訳ワカンナイことを放ったらかしにはせず「なぜだ?!」と正面右四つがっぷりと向き合うのです。

 椎名氏は常日頃から、鉄道関係者や警察やバスの運転手などと、融通のきかない「制服関係者」が気に入らず、日夜水面下で「眼下の敵と心理学的駆け引き風の」激闘を繰り広げていました。そこへ突如アカマル急上昇で椎名氏に立ちはだかったのは古書店「国分寺書店」のオババなのでした。オババの態度にフンガイした椎名氏はというと…というようにエッセイのはずが物語のように展開していきます。

 私が中学生の頃、このエッセイがラジオドラマになって放送されていました。演じるは伊部雅刀、故佐々木つとむで(すいませんオババ役は忘れてしまいました)、BGMはなんとYMOという、ほぼスネークマンショー的な構成だったのです。このラジオドラマは好評だったらしく、以降のエッセイ「気分はだぼだぼソース」「かつをぶしの時代なのだ」も放送されていました。

 今ではアウトドア作家というような雰囲気の椎名誠氏ですが、かつてはこういう若さの勢い余って東京スポ見出し的な威勢のいい作品を書いていたのです。今では「怪しい探検隊」シリーズぐらいにしかその勢いがうかがえないのがちょっと残念です。

(椎名誠,新潮文庫)

Amazonでは古書のみが注文可能です

2024/02/20

墨攻

 古代中国のシステムエンジニアたち

 古代中国に実在した思想集団「墨家」。その特異な教義のもとに集まった人材は春秋戦国の世において珍重されることとなったといいます。質実剛健を旨とし、利他的で自分を犠牲にすることもいとわないという性格はキリスト教と比較されたりしました。

 さらに、墨家は技能習熟に励み惜しげもなくそれを教えるといった、まるで技術者の鑑のような人たちだったのです。当時は戦乱の時代だったので、戦闘技術、それも防御戦においてとても優れた戦術を編み出したのでした。「墨守」という言葉が今でもあるほどですから、墨家の守る城を攻め落とすのは容易ではなかったのでしょう。

 これは、ある墨士が赴いた城での激しい攻防戦を通して、その凄まじいまでの生き様を描いた物語です。昨日までは敵の襲来におびえていた一般市民でさえ、彼の指導のもとにだんだんと一個の兵隊に変わっていき、士気もあがっていきます。読み進めて行くにつれ、ふと自分の職業に通じるものを感じていました。コンピュータによるシステム開発というものも、いろいろな人が集まり、有用な機能を持ち効果的な運用ができるよう目標に向かって地道で忍耐強く努力を積み重ねることによって成立します。システムエンジニア見習いとして働いている私にとってはとても身につまされるほどに感じられてなりませんでした。

 私も彼のように役立つ技術者になりたい… とは思ったのですが、とても彼ほどに動き回れそうにはありません(あっという間に過労で病院行き)。でも、せめて某OSの関係者にはこれぐらいは頑張ってほしいですね。(^_^;) いや、シャレでなく。

(酒見賢一,新潮文庫)

Amazonで古書が注文できます

2024/02/19

人間の手がまだ触れない

 どんでん返しの向こうの落とし穴

 とある地球人が、ちょっと風変わりな宇宙人と出会いました。でも、相手は宇宙人なのでとっても変わっているように見えます。慎重な態度をとる地球人を見て、宇宙人はとっても変に見えました…

 誤解というか偏見というか、意見の相違はさらなる誤解を生んでいくというプロットが多いのですが、なんだか笑えてしまうのです。しかも、大オチは最後のページの最後の一行になるまで判らないこともしばしば。しかも良かったのか悪かったのか理解に苦しむ結末...でも面白い! あと、なぜか女性が不遇なのです。いつも妙なところで女性が使われるのも変です。作者は過去に女性関係で苦労したのでしょうか?

 シェクリィの短編集は他にも「地球巡礼」「宇宙市民」「残酷な方程式」がありますが、どれも入手難なのが欠点です。中には本当に最初から最後まで訳が判らないものもありますが、起承転結がうまく構成され結末もきりっと引き締まっている短編を書ける作家なんてそうざらにはいないのですから、ハヤカワさんももう少し増刷して本屋に並べさせてほしいものです。

 私はよく「変な人!」といわれていますが、自分では「変は変でもそんなに変じゃないぞ」と思っています。それが他の人には奇妙に見えるのでしょう。でも、あなたにもそう変じゃないと思っているとこにこそ変なクセがあるかもしれませんよ!
…あ、それを「個性」というのかもしれないですね。

(ロバート・シェクリィ,ハヤカワSF文庫)

Amazonで古書が注文可能です

2024/02/18

ゲイルズバーグの春を愛す

 郷愁に思いを馳せ、想い出に生きる

 誰にでもなつかしく思える時がある。自分はいなかったけれど、あこがれの「古き良き時代」。あわただしく駆け抜けていく時間に飲み込まれかねない現代に、ふと呼び起こされるあの日…そんな雰囲気に満ちています。

 それでいて、みんな世にも不思議な物語なのです。旧い立派な建築物の火事を消すために過去から昔の消防隊が駆けつけたり、古い珍しいコインを手に入れるのをきっかけに別の世界に入り込んでしまったり、古い骨董品の机の中に入っていたラブレター、催眠術で虎を眠らせた少年や独房の中に扉の絵を描く囚人などなど、風変わりなものばかり。

 この短編集は一応ファンタジーという分類に入るのだと思うのですが、そんな突飛な状況でなし、出てくる人にもこれといった特徴はなく、小道具も大層なものではなし。O.ヘンリーの短編を思い出させるようなところも郷愁を誘います。

(ジャック・フィニィ,ハヤカワFT文庫)

Amazonで注文できます。

2024/02/17

ガープの世界

 日常性という名の暴力

 ここには、一人の男とその男による世界が描かれています。それはまるでおとぎ話のように意外で、おとぎ話のように明るく、おとぎ話のように残酷なのです。母親は女性運動家で名を馳せ、彼も作家として有名になるのですが、彼にとっては「日常」こそがとても暴力的というのです。いつどこで「日常」から「非日常」に突き落とされるか判らないからです。

 そのひとつが交通事故です。日本でも年間一万人あまり(ただし事故後24時間内、それ以外のケースは統計外だそうです)が死亡しているというのですから、ごく普通の生活を送っている人が奈落に突き落とされる可能性が非常に高いのです。彼はスピードを出しすぎる車が通る度に家を飛び出してはドライバーを注意しなければ気が済まないのです。そんな彼も交通事故に出くわし…非常に衝撃を受けるのです。

 そしてもうひとつがレイプです。とある国では今でも8分間にひとりの割合で女性がレイプされているというのですが、この物語では「レイプ」という言葉がひんぱんに出てきます。彼もまたレイプ(のような原因)で生を受けたし、レイプされた女性が物語に関わってきます。女性の人間性を無視しずたずたにしてしまうレイプは彼にとって非常に我慢ならないものだし、レイプされた女性に反応し騒ぎ立てる人々を猛烈に批判するのです。

 この本を読むと、「日常性」から「非日常性」に突き落とされた人間がいかに無力か知ることが出来ます。私がコンビニでバイトをしている時、ある日頭から血を流した女性が店に入ってきたのです。ヒステリックに訳の分からないことを叫ぶ彼女をどう扱ったものか私も大混乱してしまったのでした。時間の感覚や前後の記憶がやふやになり、ふたつ以上の物事が処理できなくなってしまったのです。まあ…その時はどうにか収拾がつきましたが、その時のことを思い出す度に「日常性」の片隅に待ちかまえる危険な罠を感じずにはいられないのです。

(ジョン・アーヴィング,新潮文庫)

Amazonで注文できます。上巻はこちら、下巻はこちらです。

2024/02/16

小さなヤシの木の下で

  WinCE に不満をつのらせていたある日、兄が Palm を借してくれました。

「使用した感想を聞かせてくれ」と言って渡されたのは PalmIIIe を日本語化したものでした。丁度我が WinCE マシンのデータを誤って消してしまってヘコんでいた所だったので、まずは使ってみることにしました。

 まずは Graffiti を覚えることから始まります。アルファベットに準じた一筆書きといった感じで、f,k,g,tが違うということを覚えれば大丈夫です。人によっては筆圧や筆グセのせいでいらいらすることと思いますが、慣れるのにそう時間はかかりませんでした。日本語入力も Graffiti によるローマ字入力なのですが、日本語辞書はメモリ容量の都合か変換効率はよくありません(やはりPalm用ATOKをお勧めします)。

 後は各アプリの使うわけですが、WinCE と違って各アプリには「終了」ボタンがないということに戸惑いました。でも、いちいち「起動」「終了」する余計な操作はしないでいいと解しました。つまり、プログラム全部をメモリに読みこんでしまって、使いたいプログラムを切り替えているのです。

 私の使用している Palm はメモリが 2MB の型で、兄が 8MB に増設してくれたものです。意外なことに、メモリが足りなくて困るといったことはまだありません。そうこうしているうちに、気がつけば手離せなくなっていました。兄のもくろみ通り、Palm の魅力にとりつかれてしまったようです。

2024/02/15

項羽と劉邦

 大陸の嵐、雨と風と漢(おとこ)たち

 史上初めて中国全土を統一した男、始皇帝。しかし彼もまた一人の人間に過ぎず、その命がつきた時、次に大陸を担う者に席を譲った…時は紀元前2世紀、大きな嵐がやってきたのです。

 有名な歴史小説家、司馬遼太郎の書くところの楚漢盛衰記は人物の描写に始まり、当時の社会制度や思想、文化に至るまでとても内容の濃いものとなっています。

 ふつう中国の歴史小説といえば「三国志演義」ですが、私はヘソ曲がりなので「白黒はっきり分かれている」項羽と劉邦の物語を選んだのでした(余談ですが、私は日本史においても、戦国時代より源平の時代が好きなのです)。

 美丈夫にして、名高い項燕将軍を叔父とし気性は激しく武に秀でた項羽、かたや田舎の泥臭いでくのぼう、されど人に慕われ和をもって将となった劉邦。対照的な二人の全く違った生き様が交錯しながら、激動の時代の嵐となっているのです。始皇帝なき後、倒秦のために立ち上がった二人を嵐とすれば、項羽は激しく地を打つ雨、劉邦は駆け回り地を馴らす風だったと言っていいでしょう。そして、二人を取り巻く人間模様。漢(おとこ)たちがそれぞれ嵐になって強力な秦に挑んでいきます。一方、秦も簡単には攻め落とされる訳がありません。迎え撃つ秦の司令官もなかなかの知恵者です。彼が秦の最後の希望でもありました…

 そして話は秦が倒れた後に移っていきます。そして、漢はどうやって張楚に代わったか、なかなかに読み応えがあると思います。

 歴史小説は感情移入しだいで読み進め方に違いが出ます。項羽または劉邦のどちらか一方を応援するように読むといいでしょう。ちなみに私は項羽のファンでして、「カッコいいのに損をしている英雄」というところが好きなのです。でも、怒らせると何をしでかすかわからないところも短気な私に合っているような…恐いな。

(司馬遼太郎,新潮文庫)

Amazonで注文できます。上巻はこちら、中巻はこちら、下巻はこちらです。

2024/02/14

MO Drive: Fujitsu M2512A

 ドライブが認識されない!Part3 (妻が 100% 解決)

 あまり MOを使わなくなっていたので義父の PCに取り付けることにしました。
SCSIカードは Tekram の DC-390F を利用することにしました。ところが、MOドライブがOSに認識されない。SCSIカードまでは認識されているところまでは上記 Part1,2 と全く同じ。ところがどんなに頑張っても認識されない。

 PC の起動画面で SCSI ボード認識されているか…よし。
 SCSI ボード認識後、SCSI BIOS 画面で MO は…認識されている。

 ところがマイコンピュータ上にMOドライブは現れない。

 富士通製だからダメなのかと一瞬思ったのですが、これまで私のマシン上で Adaptec AHA-2940UW とのコンビではまったくもってイイ子だったのですから、その線でもない…やはり、SCSI ボードとの相性のようです。

 そこで、妻が買ってきた IOI の SCSI ボードを使うと、やはりこれが正解。すんなり認識して今までと同じくイイ子で動作しました。

 今回は、どうも DC-390F に振り回されただけだったようです。とほほ。

2024/02/13

ノルウェイの森

 哀しくて、儚くて、切なくて

 学生時代、とあるバイトのヒマな時間を利用して一気に読んでしまった時の、読後感を今でも覚えています。目の前あるもの全てが哀しく見えてきたのです。しばらくの間身動き一つせず、じっと考え込んでいました。この本の中に登場してくる、儚いひとたち。主人公の前に現れたかと思うと、風のように駆け抜けて逝ってしまう。そして、かけがえのない直子。雨に負けぬ花のようでいながら、いちど折れてしまうと、もう元には戻らない…
「いつまでもずっと、私をおぼえていてほしい」と願う彼女の言葉には、どんな気持ちが込められていたのでしょうか…

 作中の時代は、1960年代後半の学生運動の頃を描いているのですが、どうも私には1980年代後半のように思えてならないのです。1980年代後半といえば、学生運動なんてある訳がなく、その頃に気勢を挙げていた若者たちが大人になっています。また、当時はバブルもはじけていなかったので、誰もが浮かれていてこの本のような重いテーマで考えることをしない「軽い」時代だったのでした。

 人と人の出会いは、ほんの一瞬にすぎないけれども、その人の心に残る印象はなかなか消えないものです。出会った者同士がお互いの気持ちを交わしていった時、お互いの心の一部を交換したとします。そして、どちらか一人がいなくなってしまった時、残された一人はもう一人に渡した自分の心の一部を失ったことに気づくのです。一番大事な人に渡した自分の想いが全て失われたとしたら、自分の中には何が残っているのでしょうか。

…直子は何も失わなかったことに気づいてしまったのです。

 私はこの本を「精神(こころ)のリトマス試験紙」と呼んでいます。この本を読んで、激しく心が揺さぶられたとすれば、過去に不幸な思いをした人だと思います。そうでなければ…描写のきわどい本にでも見えると?

(村上春樹,講談社文庫)

Amazonで上下巻セットで注文できます。

2024/02/12

Main Board: MSI MS-6120N

 マルチブートは夢のまた夢(80% 解決)

 最初は、HDDを増設したついでに Win95/Win98/Win2000/Linux とOSを切り替えてみようと思ったのが始まりでした。ブートセレクタ「SystemCommander4」を導入したもののどうも様子がおかしい。その後ブートセレクタを別のものに替えて Win98/Win2000/BeOS/Linux という構成にした時に悲劇は始まりました。使用不能に近い状態になってしまいました。

 使用中いきなりハングアップ。気を取り直して再起動するもハングアップ。ブルースクリーンも出ず、ただ止まる。思い当たるところは…あちこちにある。

まったく安心してCD焼けないわネットもできない。ハングアップの周期も起動後3分とだったり3時間後だったり、3日経っても大丈夫な時もある。まったく原因不明でした。

 そこへ兄のアドバイスがあり、ブートセレクタを外すと嘘のように安定稼働を始めるではないですか!(兄に感謝!) やはり、やたらOSを切り替えてリブートばっかりするものじゃないようです。しかしながら、こういったOS切り替え可能な環境を構築しながら試行錯誤を繰り返すことでOSの特性を学べるということもあるのです。

 今のところ Win98/Win2000 となっているこのマシンを Win2000/Linux の2本立てとする計画を立てています。本当は BeOS も試してみたいのですが…無理そうです。

2024/02/11

聖なる予言

 願いがいつもかなうなら、悪い考えは浮かばない

 ここ数年、哲学というか心や精神世界について思索する本がよく出版されています。この本もその中の一つで、小説という体裁を取りながらも人間が生きてゆく上で何に気づくべきか、何を考えるべきかを説明しています。すべてをうのみにする訳にいかないのですが、気に入ったのは「すべては偶然ではない」という言葉です。どういう形であろうと、すべての原因が必ず結果としてあらわれているということです。例えどんなに些細な出来事でも決して偶然といういい加減で不明確なものでなく、どこかで何か(神様でも誰であっても)が意志をもって結果を導いていたと考えるようにすれば、プラス思考に持っていけるのではないでしょうか。

 私は、時々「なぜこんなことをするのだろう」と思いながら行動したのに、結局うまくいったことがありました。または「こんなことがあるかも…」と予測した通りのことが起こったりしたこともあります。もし、自分の考えがすべてその通りになるとすれば、決してマイナスに考えなくなるでしょう。また、その考えが自分の中からではなくもっと大きな力の一部だとすれば、自分さえ良ければいいという利己的な考えもなくなってしまうのではないでしょうか。こういう風に、自分の内面的な部分と向き合うきっかけを作ってくれるのです。

 あなたがこのページを読んでいるのは偶然ではありません。あなたが読んでくれると知っているから、私は書いているのです。

(ジェームズ・レッドフォート,角川書店)

文庫版をAmazonで注文できます。

2024/02/10

SCANNER: Cannon CanoScan600DX

 あなたのスキャナ、蓋が外せますか?(購入前情報)

 スキャナを購入したいという友人とアキバに行った時のことです。色々と見て回っているうちに、主にどんな原稿をスキャンするかという話になりました。確かにペラ紙ならシートフィーダ型でもいいし、辞典みたいに分厚いものを乗せることもあれば、たまには紙ではなくモノをスキャナにかけることもあるでしょう(雑誌のレビューぐらいでしか見かけませんけど)。

 と、そこへ友人が「あれ、このスキャナは蓋が外せないね」と、一言。

 そのスキャナはある程度の厚さなら挟めるように上方にスライドしますが、ガチッと止まってしまうのです。もしも広辞苑のような分厚いものをスキャンするときに、邪魔になる可能性があるのです。これはちょっと面白い発見だということになり、これは外せる、これは外れないだのとつぶやきながら2人でスキャナの蓋をガチガチいじる変な客と化してしまったのです。

 家に帰って、我が CanoScan は蓋が外せるか... ああ、よかった。

2024/02/09

キング&バルーン

 自機リザーブ無限のシューティング

 「へんてこなゲームが出た!」と師匠は、そのゲームのことを教えてくれました。画面上から飛来してくる風船が画面下にいる王様をさらおうとしているで撃ち落す、というゲーム内容なのですが自機(砲台)は何度破壊されてもいいらしいのです。

 ゲーセンに行って実物を見れば、なるほど自機が敵キャラや弾に触れれば破壊されてしまい一定時間だけ敵を攻撃できなくなるだけで、例の王様を敵に連れ去られてはじめて1ミス(*1)、ということなのです。それなら、自機が破壊されてもタイミング良く王様を連れ去られなければミスにならない、ということになるのです。腕が上がれば何時間でもプレイできてしまうのです。

 さっそく頑張ってプレイしたのですが、小学生の私は(下手なので)ガンガンやられてしまい、そのうちに王様はさらわれてしまいます。でも、自機リザーブを気にしなくてすむのでお得な気分でした。敵キャラを撃ちまくることに専念しておけばそこそこ遊べたのでそのゲーセンに行くと必ず遊んでいました。また「HELP!」「THANK YOU!」「BYE BYE!!」としゃべる(*2)ところも愛嬌がありました。PlayStation 用ソフト「ナムコミュージアムアンコール」に収録されているので、今でも遊ぶことができます。

*1: 敵キャラが王様を画面上端に連れ去るまでにその敵キャラを撃ち落せば王様も戻ってきます。その時王様が傘を開いて画面下まで降りてくるのです。その間は敵の攻撃も弱まるので反撃のチャンス到来…という絶妙のバランスでした。

*2: 今みたいにメモリ上に録音(サンプリング)なんてせずに、コンピュータ上で合成した音声です。あの頃はリアルな音声よりはちょっと無機質な響きのほうがカッコ良く聞こえたのは何故だろう。

※「ナムコミュージアムアンコール」はAmazonで中古品が入手できます

2024/02/08

ボートの三人男

 19世紀末の天然ボケ珍道中

 時は十九世紀末、ヴィクトリア女王おわします頃の英国は倫敦。霧は晴れず湿気は多く、うだつは上がらず、退屈で憂鬱な毎日。そんな日常に飽き飽きした3人の男達(と犬一匹)が2週間の休暇を取ってテムズ川下りのボート旅行に出かけることに…

 100年以上も前のお話ですが、当時の人がやってることと現在も変わらないような気がします。さすがに風俗習慣は違うし、気取り屋の英国紳士くささが鼻につくこともあるのですが、やはり根底にあるのは変わりません。部屋でもくもくと煙草を吹かしているくせに「最近、体調が良くない」とこぼしたり、慣れない旅行支度にてんやわんやの大騒ぎをしたり、あれほど準備したのに缶切りがないやら、「朝食にはフライパンが要るな」と言ったら「フライパンなんて食べられない」と馬鹿を言う奴がいたり… いつの時代にも天然ボケというか、馬鹿な仲間というのはいるものなのですね。作中の変なエピソードのほとんどが本当にあった話だと作者は言っているそうです。それでも、劇作家である彼は美辞麗句をもってテムズの風景を描こうとしたりしていて、創作エッセイというような雰囲気をかもしだしているのです。

 言葉が古いのと、英国人のユーモア感覚に慣れないとちょっと辛いかもしれないですが、たまに変わった本を読んでみたいという人におすすめです。

(ジェローム・K・ジェローム,中公文庫)

Amazonで注文できます


2024/02/07

MO Drive: Fujitsu M2512A

 ドライブが認識されない!Part2 (100% 解決)

 ある日、友人が MO ドライブを増設したがうまく認識できないと電話がありました。MO ドライブの型番こそ違えど同じ Fujitsu 製のドライブでしたし、接続している SCSI ボードも私が以前に使っていた IO DATA 製の SC-UPCI だったので、状況はほとんど同じだったのです。

 「WPの通りやってみたけれど…」という友人の信頼を裏切るわけにいかず、電話の向こうで動作を確認してもらいました。

  1. 「コントロールパネル」の「ハードウェアの追加」で検索する→認識されない
  2. SCSI ボードとの接続や SCSI-ID 設定に矛盾はないか→おかしな点は見受けられない
  3. MO ドライブを接続するときメディアは入れておいたか→入れておいたが反応なし
  4. どういう順番で各機器を接続させたか→ SCSI ボードだけ接続し次いで MO ドライブを接続した

 どうやら、Windows のドライバ認識が SCSI ボードまででその先のデバイスまでわざわざ認識してくれないのが原因のようです。やはりきっかけを与えねばならないようです。「システムのプロパティ」の「デバイスマネージャ」でいったん SCSI ボードの認識を削除するという荒療治に出ました。あまりスマートな方法ではありませんが、Plug & Play の自動認識機能でもって SCSI ボードと MO ドライブとをいっぺんに認識してもらおうと思ったのです。さて、デバイス記述の削除が終わると再起動をうながされます。友人が「大丈夫かな」という不安そうに言うのを聞いてないふりして「まあ、再起動してから」と繰り返しました。

 結果は…SCSI ボードの認識が終わった後、次いで MO ドライブも認識されました!「デバイスマネージャ」上でちゃんとドライブが追加されていることを確認してもらい、友人と「不思議だね」「何でだろう」と言葉を交わして電話を切りました。電話があっておよそ半時間ではありましたが、寝入りばなを起こされた私にとってはとても夜更かしをしたように思えました…

2024/02/06

タンクバタリアン

 弱点まるだしでいいのか総司令部!

 この時代のシューティングゲームのほとんどが、が画面最下段を左右に動き回って画面上部から押し寄せてくる敵を撃つべし、という構成でした。でも、このゲームはパックマンよろしく画面を縦横無尽に動き回れるところと、画面下部中央に位置する「総司令部」の存在がこのゲームを非常に変わったものとしていました。自機のリザーブが残っていても総司令部が破壊されれば即ゲームオーバーというルールは当時としても非常にシビアだったのです。

 タンクバタリアンを最初に見かけたのは、行きつけの駄菓子屋(*1)でした。やはり第一印象は「難しそうだな」というもので、しばらく様子を見ていました。自機を操作しつつも、総司令部を守るために大忙しです。この総司令部の防護壁が薄いのがやっかいで、そういう場合は自機を盾代わりとしなければならないのです。さて、私も早速やってみたのですが思うようにはいきません(まあ、当時小学生でしたし)。画面のあちこちにいる敵戦車を撃破していると総司令部に一台敵戦車が迫っているではないですか! きびすを返して総司令部の方へ引き返します。あと一発でも弾が当たれば総司令部は破壊されてしまいます。私は総司令部の目と鼻の先にいる敵戦車に向かってボタンを叩きました。

 …ひょい。

なんと、敵戦車が方向転換して弾をよけてしまったのです(*2)。そして私の弾が総司令部を破壊しました。もちろんゲームオーバー。あっというまの出来事に私は呆然としてしまいました。

 タンクバタリアンは地味でしたが、後にファミコンの「バトルシティ」とか「タンクフォース」という形で何らかのフィーチャーを加えリメイクされました。それだけにいぶし銀の魅力を持っていると言っていいかもしれません。

*1: ちょうど切手集めが流行っていた頃もあって切手も取り扱っていました(駄菓子が先か、切手が先かは不明ですけど)。最近は見かけないタイプのお店ですね。

*2: 文字だけではうまく伝えられないと思います。よくわからない場合は連絡ください。

※タンクバタリアンはSwitchの「アーケードアーカイブス」に収録される予定です

2024/02/04

戦慄のシャドウファイア

 「読ませる」王道を行く

 ベストセラー作家であり多作でもある彼の作品の中でも、一番読みやすいのがこれです。わかりやすいプロット、そしてスピーディーな展開。適度なスリルとサスペンス。単純に説明してしまいましたが、シンプルな話であるほどストーリーの味付けは難しいはずです。それでも作者は見事に「読ませて」くれるのです。離婚成立直後に起こった事故で、主人公は夫の死を目の当たりにします。イヤミでしつこい性格ではあったけど、非凡な生物工学者であった夫の変わり果てた姿に一時は茫然自失となります。それでも、自分の新しい人生を歩もうと決心した直後に、「死体が無くなった」との知らせが。あれはどう見ても確かに即死だったはず。生き返るわけがない…

 肝心なのはこの「シャドウファイア」です。一種のバラしタイトルなのですが、「あいつ」が主人公を追いつめようとする執念の裏にあるのは何なのか、と頭の隅にでもおいておくと良いでしょう。それは、作者クーンツのよく扱うテーマで「どぎつい」とか「やりすぎ」という批判のタネとなりやすいものなのですが、カタルシスにとどまらないクーンツの人間性の語りかけといってよいでしょう。

 この物語は、いつ映画化されてもおかしくないのですが、まだのようです。映画化されるのを待つよりはぜひご一読を。絶対に損はさせません!

(ディーン・R・クーンツ、扶桑社文庫)

Amazonでは古書のみの注文となります。上巻はこちら、下巻はこちら

2024/02/03

Main Board: MSI MS-6120N

 ベースクロックが変更できない(100% 解決)

 このメインボードを譲り受けたのも、これが原因でした。もとの持ち主が言うには「マニュアルの通りやってみたし、BIOS の方でも設定を変えてみた」ということで、一筋縄ではいかないようです。ネット等で調査してからパーツを揃えようとしていたら、あの忌まわしいT○○Oやら○○県○道○の仕事やらが入って…(5メガバイト省略)…21世紀に入ってしまいましたとさ(^^;)

 メインボードのメーカーであるMSIのWPなどを調べ、公認されている CPU としては最高速の PentiumIII 800MHz を手に入れ、早速組み立ててみました。メインボードに CPU、メモリ、HDD、VGA という最小限構成で起動してみることにしました。 …ところが、「666MHz」と初期画面に表示されている!

ひょっとしたら BIOS が古くて CPU を認識しないのかと思って適当に Win98 をインストールして(誰だ「デュアルCPUが泣くぞ」とか言う奴は)、BIOSを最新のものにアップグレードしてみました。

 …状況は変わりません。

 ここで「キェー」とゲイツちゃんのようにキレて、メインボードを叩き割るのは簡単ですから、冷静になってもう少しだけ頭を使うことにしました。

ディップスイッチの設定は正しいか?

BIOS上の設定と矛盾してないか?

本当に PentiumIII (しかも Coppermine )で動作可能なのか?

やっぱりデュアルプロセッサは身分不相応なのか?

あきらめに似た気持ちが起こりつつも、Web 上で調べていると「マニュアルの記述は間違い」とのログが(ただし証拠 URL 紛失)。どうやらクロックの設定はBIOS設定画面のみで、メインボード上のディップスイッチはいじらないようなのです。でも、私の CPU の場合は違うかもしれない。そこで、本体カバーは閉じずにディップスイッチや BIOS 設定を切り替えてはリセットを繰り返しました。ああ、メンドくさい。

 …出来ました。マニュアルさえきちんとしていれば苦労は少なかったのですが、ちゃんと動作したときの安堵感はなんともいえないものでした。まず、神と仏とアタオコロイノナに感謝。いやいやその前にメインボードをただでくれたK氏に感謝。

MSI マニュアル担当 < TTYF!!